沿革

当院の開院前史から草創期

京都府では、明治天皇の済生勅語により明治44(1911)年に済生会が設立されてから、いち早く大正元(1912)年には京都府医師会と私立病院協会に施薬救療事業を委託し、済生の実を目指しました。

この事業委託は10年近く続きましたが、大正9年の戦後恐慌や不景気により生活困窮者が増えたため、済生会自らも診療所を開設して困窮者の救療にあたるべきとして、大正10(1921)年7月に西陣診療所、大正12(1923)年7月に田中診療所、大正13(1924)年4月に本町診療所、大内診療所の4つの診療所を開設しました。
ところが、入院加療を必要とする患者さんが多く、病院建設が必要だと当時の京都府知事、京都在住の有志により大正14(1925)年4月に病院建設の議が起こりました。寄付金の募集、用地の買収等が進められ、大正15(1926)年11月9日には貞明皇后陛下より金三千円を下賜され、昭和3(1928)年8月に起工、昭和4(1929)年7月に京都市上京区紫野雲林院町(現在は北区)に当院は開設しました。さらに昭和6(1931)年7月には京都府済生会支部が設置されました。

当院は西陣織物製造地帯の中心にあり、患者は織物従事者が多く、患者のなかには結核患者も少なくありませんでした。昭和11(1936)年度の患者数は延入院患者数1万4764人、延外来患者数7万955人と記録があります。

  • 大内診療所

    大内診療所

  • 開設当初の済生会京都府病院(昭和4年)

    開設当初の済生会京都府病院(昭和4年)

  • 済生会京都府病院診療班(おそらく戦前の写真)

    済生会京都府病院診療班
    (おそらく戦前の写真)

  • 診療の様子

    診療の様子

激動の時代に

病院の基礎も固まらないままに満州事変・第二次世界大戦と戦時色の濃いなか、患者は増加するのに反して人員は不足し、設備も資金も不足する苦難の連続でした。次々に医師が招集され医療の空白地帯が増え、一家の働き手が徴兵される軍部の医療事情により済生会への期待が高まってきたこともあり、昭和15(1940)年7月に園部診療所、昭和16(1941)年2月に宮津診療所、同年6月に伏見診療所、昭和18(1943)年5月に東舞鶴診療所を開設し、銃後の診療にあたりました。終戦後、診療所は昭和51(1976)年8月まで業務を続けた本町診療所(東寺診療所)を除いて昭和30年代には順次閉鎖しその役割を終えました。

  • 防空救護所の看板を掲示

    防空救護所の看板を掲示

  • 支部長による患者慰問(壁には「南京陥落」のポスター)

    支部長による患者慰問
    (壁には「南京陥落」のポスター)

京都市北区から長岡京市へ、当院の発展期

近代医学の進歩とともに社会保障と医療に対する重要性は増し、年々患者数は増加の一途をたどりました。そこで、当院の拡張と設備の充実・改善を図るために、戦中・戦後を通じて相次ぐ病室の増床、診療棟の増築、診療科も増設し、昭和40(1965)年には第三期増築工事を終え、許可病床数329床の総合病院として地域医療の一翼を担いました。

しかし、敷地が狭くこれ以上の改築拡張が不可能であること、医療環境の変化による近隣病院との競合などから、昭和52年頃から病院の移転が計画され、総合病院のなかった長岡京市の病院誘致の意向もあり、昭和58(1983)年7月15日、同市に新築移転(12診療科、病床数208床)、昭和60(1985)年には許可病床数350床となりました。

地域の診療所と病院とがそれぞれの特徴を生かして患者を治療する「病診連携」の成果として平成5(1993)年7月に京都府下第1号の開放型病院(開放病床40床)として認められました。平成7(1995)年4月に訪問看護ステーションを開設、平成20(2008)年にはDPC対象病院に指定、地域医療支援病院、健診センター開設、院内保育室設置、病後児保育を開始しました。平成23(2011)年には京都府がん診療推進病院に指定され、平成31(2019)年4月に呼吸器内科、腎臓内科の常勤化を果たしました。

令和2(2020)年1月現在、25診療科、病床数300床の乙訓地域唯一の公的医療機関として地域医療に尽くしています。

  • 増改築竣工披露(昭和40年)

    増改築竣工披露(昭和40年)

  • 昭和54年頃の済生会京都府病院

    昭和54年頃の済生会京都府病院

  • 長岡京市へ移転当初の当院

    長岡京市へ移転当初の当院

  • 当院のエントランス

    当院のエントランス

新たな病院で―いままでも これからも

京都市北区から長岡京市に移転して約39年が経過し、建物の老朽化、狭隘化、アクセス不便などを解消するべく、令和4(2022)年6月1日に阪急西山天王山駅近くに新たな地域医療の起点として新築移転(26診療科、病床数288床)しました。新病院でも「いままでも これからも あなたともに」に地域医療に貢献します。

新病院

年譜

since1929
  • 大正14年4月病院建設の議起こる
  • 大正15年1月寄付金募集開始
  • 昭和3年8月御大典を記念して京都府病院起工
  • 昭和4年6月竣工
  • 昭和4年7月2日京都府病院開院(内科・外科、病床数50床、職員数47名。初代院長 浅山忠愛)
    総裁閑院宮殿下御台臨のもと開院式
  • 昭和6年7月済生会京都府支部設置
  • 昭和13年1月本法寺に恩賜財団済生会京都府病院納骨塔建立
  • 昭和19年12月増築工事完了 病床数100床となる
  • 昭和28年3月第二代院長に竹中貞雄が就任
  • 昭和29年11月第三代院長に細田孟が就任
  • 昭和31年11月病棟増築工事竣工式。病床数237床となる。
  • 昭和38年11月第1期増築工事完工。病床数274床となる。
  • 昭和39年10月第2期増築工事完工。病床数329床となる。
  • 昭和40年11月第1期~第3期増改築工事竣工式
  • 昭和46年8月第四代院長に中村四十吉が就任
  • 昭和51年11月第五代院長に谷道之が就任
  • 昭和54年7月創立50周年記念式典を開催
  • 昭和58年7月15日京都府長岡京市に新築移転、開院(麻酔科、脳神経外科、臨床検査科の新設、診療科目 12科、許可病床数350床)
  • 昭和60年6月全病棟オープン
  • 平成元年6月第六代院長に伊地知濱夫が就任
  • 平成5年3月開放型病院認可(京都府下第1号、許可病床40床)
  • 平成5年10月新築移転10周年記念式典
  • 平成6年4月第七代院長に宮﨑正夫が就任
  • 平成7年4月訪問看護ステーションの新設
  • 平成8年1月在宅介護支援センターの新設
  • 平成10年5月第八代院長に中島徳郎が就任
  • 平成10年7月京都府より災害拠点病院に指定
  • 平成15年10月医師臨床研修指定病院(管理型)に指定
  • 平成18年2月第九代院長に中嶋俊彰が就任
  • 平成20年4月DPC対象病院
  • 平成20年8月地域医療支援病院に認定
  • 平成23年3月京都府がん診療推進病院指定
  • 平成27年4月第十代院長に中村直登が就任
  • 平成28年8月地域包括ケア病棟開設
  • 令和元年8月 HCU新設
  • 令和元年10月第十一代院長に吉田憲正が就任
  • 令和2年7月地鎮祭、新病院着工
  • 令和4年2月新病院竣工
  • 令和4年6月新病院に移転

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