95 年目の沿革― 京都済生会病院のあゆみ

2023年09月13日(水曜日)

1929(昭和4)年7月2日に京都に開院してから95 年目。
当院の開院にまつわるエピソードを財団機関誌「済生」から紐解きます。

京都に済生会病院を

 明治天皇の済生勅語により1911(明治44)年に済生会が設立されてから、いち早く1912(大正元)年8月から約10 年間、京都府医師会と公私立病院に委託して救療活動をしていました。しかし、戦後恐慌や不景気により生活困窮者が増えたため、1922(大正11)年2月11日に、西陣にあった京都府の建物の一部で直接診療事業に一歩踏み出しました。1923(大正12)年6月、7月には小松谷と田中に診療所ができましたが、いずれも借家だったため、方面委員や関係者の尽力により、1924(大正13)年には西陣・田中・本町・大内の4つの診療所を開設しました。
 しかし、4つの診療所には入院設備がなく、入院加療が必要な患者さんは他の病院に紹介し、入院費他一切の費用を済生会が負担していました。また、患者さんに対する治療上においての心残りもあり、病院設立の機運が高まりつつありました。

病院設立は1925(大正14)年頃から、済生会の二條厚基理事長をはじめ池田宏京都府知事(当時)や篤志家の稲垣恒吉氏(当時の京都瓦斯社
長)、大澤善助氏(大沢商会・京都電気鉄道創立者)などにより、不景気のどん底にありながらも熱意をもって進められ、病院建設委員の設立や寄付金集めにと、京都での病院設立が済生会の一大事業となりました。そして、それらの事情が皇室にも伝わり、ついには1926(大正15)年11 月に御下賜金三千円(当時の貨幣価値)を賜ることになりました。二條理事長が貞明皇后に謁見し御下賜金のお礼を伝えたところ、陛下より「今度京都に病院が建つそうだがまことに結構なことである」との言葉を賜ったと記録されています。

1929 年7月2日、開院

 病院建設の費用として御下賜金まで賜り、済生会にとっても最大の関心事になった京都への病院設立。
 当事者たちから「他の地方であってはこのような恩恵に浴すること(御下賜金を賜ること)は不可能」といわれた理由は、済生会を創立した明治天皇誕生の地が京都だからです。その京都で済生会精神である施薬救療を実現することが関係者たちの悲願ともいえました。病院設立発起より4 年の歳月を経て1929(昭和4)年7月2日、京都市北区(当時は上京区)紫野雲林院町に開院。総裁 閑院宮殿下、会長 徳川家達の臨席のもと開院式は行われ、新病院の前庭に大きなテントと紅白幕をひろげ、初夏の風に万国旗が翻り栄光にみなぎっていたとあり、満足そうな列席者の顔が浮かびます。
 余談ですが「雨雲も連日の日照りにつかれた人の心を和ます」とあるので当日は雨模様だったようです。

95 年目を迎えた当院ですが、残念ながら当院の先輩方がどのように当院で働いてきたのか細かな資料が残っていません。1929 年の設立から、戦争など多くの苦難をどのように乗り越えてきたのか、先人たちの軌跡をなんとか調べたいと思います。

出展・参考:
  • ・ 済生 第1年第1号(1924年6月号) P42-47 本会記事 京都市二診療所開所より
  • ・ 済生 第3年第12号(1926年12月号)P4-5 澤如時雨より
  • ・ 済生 第6年第8号(1929年8月号)口絵、P45-49 本会京都府病院開院式より

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