済生会のトリビア!
2024年05月31日(金曜日)済生会の創立記念日は5月30日です。ちなみに済生会は宗教団体ではありません。
恩賜財団は「おんちょうざいだん」ではなく「おんしざいだん」と読みます。
みなさんに知ってもらえると嬉しい済生会のトリビアをご紹介します。
済生会の設立に尽力した京都の世話人たち
済生会は明治天皇の済生勅語(さいせいちょくご)*1に基づき明治44 (1911)年5月30日に創設されました。
社会に増えた「無告の窮民(生活困窮者)」に無償で医療を行い、それによって生(いのち)を済(すく)おうと時の桂太郎総理大臣に命じ、団体設立の資金の一部とするよう私的なお金を下賜されました。桂総理は、明治天皇の思いを実現するためにご下賜金を基礎とし全国の篤志家に寄附の協力を求めることにしました。同年5月9日には東京・京都・大阪・横浜・神戸・名古屋の篤志家を集め済生会設立の意義を訴え、各地に世話人を置きました。
京都の世話人には、京都銀行の前身「亀岡銀行」の設立者の田中源太郎氏、白木屋呉服店の十代 大村彦太郎氏、初代官選京都市長の内貴甚三郎氏、百貨店「高島屋」の三代 飯田新七氏、三井家別家で日本紙パルプ商事の社長であった四代 中井三郎兵衛氏ら篤志家が名を連ねました。
ちなみに京都府の寄附金最高額は浄土真宗本願寺派第22 世法主で伯爵の大谷光瑞氏の5 万円です。大正時代の小学校の先生の初任給は50円程度、白米10キロは1 円78 銭だったので、かなりの大金ですね。
明治天皇
桂総理大臣
済生会第一回会務報告書より京都市世話人(大正2年 済生会編)
恩賜財団は2段組が正式です
当初、桂太郎総理は団体の名称を天皇陛下からいただいたという意味の「恩賜財団済生会」にしようとしましたが、明治天皇から「この事業は朕のみにてこれを行ふにあらず、朕が国民と共に行ふ事業である。仍って恩賜財団の四文字は改むるやう」とのお言葉があり、桂総理は一旦は引き下がりましたが、再度お願いにいくと「然らば恩賜財団の四字を小にして、済生会の三字を大にして恩賜財団済生会とすべし」と改めて仰せがあったと伝えられています。
皇室には代々、施薬救療*2によって国民を救済する伝統があります。このような皇室の伝統に加え「済生」を国民全体の活動にしていきたいとの明治天皇のお考えが、この「恩賜財団」の2 段表記に表れています。第二次世界大戦後、済生会は財団から社会福祉法人に変わりましたが、明治天皇のお志を決して忘れないように、「社会福祉法人恩賜財団済生会」*3を正式名称として、恩賜財団の2 段組はそのままです。
*3: Web上では2段組での表示ができないため「恩賜財団」としています。実際の表記は画像を参照してください
「不良家屋ト本会診療班巡回ノ光景図」堅山南風・荒井廣成
貧しい地域をめぐる本会巡回診療班(一部拡大したもの)