/ COLUMN / 開設96周年記念 「広報誌のあゆみ」
2025年09月24日(水曜日)当院は1929(昭和4)年7月2日に京都市北区で開設され、今年で開設96周年を迎えました。
当院の広報誌「京なでしこ」はどのように誕生したのか...
今回は広報誌の歴史を紐解きます。
ねらい(院内広報誌「京済だより」No.141 S52.8発行より)
- 病院での患者の待ち時間活用
- 医学知識の普及
- 病院情報の提供
「京なでしこ」の前身は「京都済生会病院新聞」です。
1977(昭和52)年当時の院長の「全職員が情報共有して患者さんにも情報提供をしよう」という積極的な広報方針に基づいて職員向け広報誌のリニューアルと患者さん向け広報誌「京都済生会病院新聞」が発刊されることになりました。
新聞と名のつくとおり、タブロイド版の白黒印刷でした。当時の病院名は済生会京都府病院でしたが、なぜか新聞名は「京都済生会病院新聞」。
今の病院名と同じですね。
京都済生会病院新聞の発行が途絶えていたところ(いつから途絶えていたかは不明)、当時の広報委員会で広報誌の定期発行が議論され、2001(平成13)年10月から「済生会ニュース」が発行されました。
2か月に1回のペースで発行されていたようで、27号まで継続されました。
カラフルなインクで印刷され医師の病気解説などがメイン記事でした。
「済生会ニュース」という名称が堅苦しいという理由から、病院をイメージできる名称に変更するために、職員から広報誌の新名称を募ったところ25の応募がありました。
選考基準は、親しみやすいイメージで"京都"と済生会の紋章"なでしこ"が入っているものとしたところ、「京なでしこ」が選ばれました。ちなみに「京なでしこ」の名付け親の看護師は、まだ当院で働いています。
その後、リニューアル発行され1か月に1回の発行に。2019年10月からは年4回の季刊誌となり2年に1度、デザインをリニューアルして、現在に至ります。
最後に、1977年8月の創刊号を飾った副院長(当時)の記事の一部を紹介します。
本来なら天寿を全うしうる人が医者や病院の選択しだいによって、誤診や不適当な治療の結果、かえってその寿命を縮める可能性のあることを示唆した言葉です。
私どもはその言葉の意味を十分にかみしめながら責任の重大さを、ひしひしと痛感しています。
日々進歩する医学の最新の知識や技術を吸収し、熟達することはもとより、できるだけ親切な、温かい医療をと、より一層の努力をかたむける所存です。
最後に患者の皆様にお願いします。不満や不信の点がございましたらご遠慮なくご忠告下さい。それが皆様の済生会病院を、より大きく育てるための大切な養分となります。(京都済生会病院新聞第一号より)