新病院に大昔の土器!? 「長岡京」を掘る

2022年08月26日(金曜日)

かつて乙訓には、長岡京という都がありました。長岡京は、約1200年前の延暦3(784)年に桓武天皇によって造営され、延暦13(794)年の平安京遷都までの10年間、政治経済の中心地として栄えました。しかし、その姿は探しても見つからぬ「幻の都」と考えられてきました。長岡京の存在が明らかになったのは、故中山修一氏が情熱を傾けて取り組んだ発掘調査によるものです。
今回は、新病院建設に伴う発掘調査と、病院2階の展示についてご紹介します!

長岡京復元図
長岡京復元図
発掘現場
発掘現場


長岡京始まりの地

 発掘調査では、長岡京造営直前に営まれた大規模宅地が見つかりました。宅地は1町域という広大な土地で、大型建物3棟や門、塀などが見つかりました。大型建物には主殿、西脇殿と、その西側に大甕(おおみか)を据える穴を持つ醸造用の建物があり、建物群の南側に設けられた門と塀は、主殿など主要な建物が外側から見えないような目隠しの構造をしていました。これらから位の高い貴族などの邸宅があったことがわかり、長岡京造営前夜の情景を伝える大変貴重な発見となりました。
 病院2階には、発掘調査で出土した長岡京の土器や瓦を展示。建物の軒先を飾った瓦には、優美な蓮華文(れんげもん)を見ることができます。

大型建物跡
大型建物跡
遺物出土(蓮華文の瓦)
遺物出土


縄文時代の工房集落 伊賀寺遺跡

 この土地は、伊賀寺遺跡と重なるため縄文時代から中・近世にかけての遺構・遺物も確認されています。特に伊賀寺遺跡は、過去に病院東側での発掘調査で、玉の未製品などが出土し、縄文時代の玉造りを行う大規模集落遺跡として全国的に有名です。
 今回の調査では、集落の中心であったことを示す竪穴建物群をはじめ、鏃(やじり)や縄文土器などの多数の遺物が見つかりました。今回は玉の未製品が見られなかったので、玉造りは集落東部で行われていたと考えることができます。
 展示では、煮炊き用の深鉢と、狩りなどに使用される弓矢の鏃を紹介。縄文土器ならではの勢いに満ちた造形や、鏃の繊細な加工をぜひ間近でご覧ください。

重なり合う竪穴建物跡
重なり合う竪穴建物跡
縄文土器
縄文土器


公益財団法人長岡京市埋蔵文化財センター

長岡京市内の埋蔵文化財の調査、保存、活用及び研究を行い、文化財の保護や普及啓発に努め、地域の文化の発展に寄与することを目的として昭和57年7月1日に設立。今年で開設40周年を迎えました。

長岡京市埋蔵文化財センター
出土した遺跡を紹介してくれた同センターの鈴木さん
掲載の「京なでしこ」を見る

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