/ COLUMN / 済生会を創った人たち
2025年06月17日(火曜日)今から114 年前の1911年5月30日に済生会は設立されました。
今回は、済生会のはじまりと済生会初期メンバーをご紹介します。
1911(明治44)年2月11日、明治天皇は時の総理大臣 桂太郎を呼び「生活苦で医療を受けることができない人たちを施薬救療(無償で治療すること)によって救おう」と「済生勅語」を発し、お手元金150万円を下賜されました。日清・日露戦争の後、戦争で傷ついたり家の大黒柱を失ったり、失業した人など、数多くの国民が貧困に苦しんでいました。
同年5月30日に「恩賜財団済生会」は設立され、初代総裁にふしみのみやさだなる伏見宮貞愛親王殿下を推戴し、会長には桂総理が就任しました。役員には、歴史上の人物たちが名を連ね、官界、財界、華族、社会事業経験者から選出されました。
※「恩賜財団」は正式には2段組みで表示します。古典を調べると、済生の「済」の字には「賑し救う」、「生」の字には「蒼生」「生命」「繁栄」という意味があります。
蒼生(多くの人々)を賑わし(隅々まで行きわたらせる)救う、つまり「済生」には「命をすくう」という意味があり、明治天皇の済生勅語にある「施薬救療」は、済生会の理念に繋がっています。

伏見宮第22代、24代当主。済生会の精神を野に咲く撫子に託し、「なでしこの歌」を詠んだ。
出展:Bain News Service, Public domain, via Wikimedia Commons第11代、13代、15代内閣総理大臣。人を説得するときに笑顔で背中を「ポン」と叩く癖があるため「ニコポン宰相」と呼ばれた。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)郵便報知新聞の元記者。第19 代内閣総理大臣。平民で爵位をもたなかったことから「平民宰相」と呼ばれた。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)第15代将軍慶喜のあと徳川宗家第16代当主となる。世間からは「十六代様」と呼ばれた。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)第8代、17代内閣総理大臣。通貨・円の制定、日本初の鉄道敷設、日本で最初の政党内閣を組織。早稲田大学の創立者。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)自由民権運動の指導者。国会の開設や政党の創設に尽力。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は著名。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)実業家、社会事業家。「日本資本主義の父」「実業界の父」「金融の父」と呼ばれる。新一万円札(2024年発行)の肖像。済生会の恩人
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/) 渋沢栄一と済生会感染症の研究者。「予防衛生・国利民福」を生涯の目標とした。
あだ名は「ドンネル(雷おやじ)」。
東京都済生会中央病院初代院長。新千円札(2024年発行)の肖像。